馬脚チラリズム

馬脚チラリズム

セクマイ的感想文置き場。本とか本じゃないものとか。

砂川秀樹『カミングアウト・レターズ』太郎次郎社エディタス

近くから「結婚しろ」とか「家族は必要だよね」的なことを言われました。 しにたいです。

そういえばカミングアウトレターズを読みました。 2年くらい前に。

感想書こうと思ってメモをしたのにそのまま忘れてました…

 

 

カミングアウト・レターズ

カミングアウト・レターズ

 

  

この本は親や教師にカムアウト済みのゲイとレズビアンが、 その時を振り返ってカムアウトした相手と交わした書簡集です。

むかし学校で比較的きらいじゃなかったせんせいが 「半径5m以内の世界を変えることはできる」 てなことを言っていたのを思い出しました。

自分の大事な人とちゃんと付き合いたいからちゃんと話し合う、 「つながるためのカムアウト」です。

(てかこれは別の本のタイトルだけど)

 

この本だけじゃなくて、人の話を聞いたり読んだりするたびに思うけど、 マイノリティってみんな堅実謙虚だなあ……。

特に年齢が上になるほど「拒絶しないでくれてありがとう」と 本気で言っている人が多いように見えます。

この「拒絶しない」というのは 「キモい死ね」とか「勘当だ!」とか言わないという程度の意味で。

 

私は 「偏見ないけどわざわざ言う必要あるの?(言わないでくれ)」 などと言われれば偏見まみれじゃねぇかボケェ!と思うし、 「なんでそうなっちゃったのかわからないけど認めるよ」と言われれば テメェに認めていただかなくとも私は存在してんだよヴァーカッ!!! と思ってしまいます。

いやこれはこの本のことじゃなくて 自分が耳にしたり言われたりした「悪意のない言葉」だけども。

 

私は相手に悪意がないから悪くないとは思わないし、 唾を吐かないというただそれだけのことに感謝しようとは思えません。

唾を吐かれる筋合いなどないと思っているから。

「理解を示すならきちんと理解しろ」と思う。

 

だけどこの本にでてくる人たちや、(非セクマイも含めて)マイノリティの 特に偏見に曝されやすい層の人たちは「叩かないでくれてありがとう」と言う。

それはそれだけ抑圧されている/いたんだろうとか、 その人や周囲の認識が「同性愛なんて軽蔑されて当たり前」 (少なくとも「ふつうの人」には理解されないのが前提) ってところで固められちゃったからなのだろうと思うと、その現実が重いです。

 

といってもこの本は押し付けがましくない希望に満ちているので重苦しくはないです。

「世界は素晴らしい!美しい!」じゃなくて 「あ、意外となんとかなるかも」と思えるような希望。

そんで、激しい差別に曝されることのない私は完璧な理解を求めてしまいがちなので、 ↓この部分は肝に銘じておかねばと思いました。

 

自分がゲイ、あるいはレズビアンであると気づいて、そのことを肯定できるようになるまで時間のかかった人は少なくない。おなじように、そのことをカミングアウトされた人も時間がかかるのだということを頭に置いておこう。

 

カムアウトするのは、相手との関係をよりよいものにしたいからです。

「大事な相手だから偽りなく付き合いたい」にせよ 「どうでもいい奴の前でまで取り繕うのは疲れた」にせよ 異性愛者じゃない自分として関係を築きたいからするんです。

だったら自分を非異性愛者として扱って欲しいと願うのと同じくらいには 異性愛者である相手を異性愛者として扱うのがすじです。

 ストレートにヘテロライフを送ってきた異性愛者ってのは 異性愛に疑問を持つ機会、ひいては知識を得る機会が 非異性愛者よりずっと少ないです。

だったら混乱したり的外れだったりしても仕方ない。

 

っていう子育て的な忍耐が必要なんだよなあ…

でも実は、「こういうのはきちんと繋がりたい人のやることだよな」っつう 台無しな感想が頭をよぎってました。

自分に置き換えたら、この本の人たちみたいな状況になってもカムアウトしないです。 わかりあいたくないもの。

 

多分この人たちはたまたま同性愛者だったってだけで、 抱えているのが病気や信仰や借金や結婚というような「困難」だったとしても、 親子や師弟以外の間柄だったとしても、こうやって話し合うんだろうと思います。

きちんと繋がっていこうとする関係をすでに作っていたからこそ伝えたいと思う。

セクシュアリティは別に特別なことじゃなくて 結局は人間関係における諸問題の一部にすぎないから、 普段のおつきあいはだいじです。