中村安希『リオとタケル』集英社インターナショナル
アメリカで成功を収めた演劇デザイナーカップルのノンフィクション(プライバシー保護のためフェイクあり)。
タケルは24歳で渡米した1949年生まれの日本人、リオは1953年ワシントン生まれの白人。
1976年に出会ってからずっと一緒に生きてきた。
著者はふたりの教え子。
大好きな二人と、他人事じゃないセクシュアリティがテーマだから、この本は客観的ではない距離で書かれている。
悪い意味ではなく。
ノンフィクション作家のルポルタージュというよりは迷える若者の手記。
二人の話や、アメリカの人たちの話がおもしろい。
仕事もカップルとしての歴史も長い人たちだから、その哲学を読めることは幸せだ。
演劇の仕事、教育の仕事、家族のこと、ゲイとしての人生のこと… 日本の友人たちは「偏見なんてないよ」な感じがいかにもマジョリティだけど、還暦越えの日本人としてはいいほうだ。
多分こういう完璧じゃない理解こそが歩み寄りの証なんだ。
とは思うんだけど、完全に肯定しきれてない書き方にもやもやする。
著者はセクシュアリティを引き受けることをようやく始めたセクマイ初心者のバイセクシャル。
だから、そりゃもう色々と揺れている。
著者のなかの、他人事じゃないからこそのためらいが、変な距離を生んでしまう。
内なるホモフォビアや引け目、「叩かれても仕方ない」といった諦めが、百パーセントの肯定をためらわせる。
加えて日本的な政治(権利擁護運動)フォビアも顔をのぞかせる。
考え始めたばかりの弱さや自信のなさはわかるんだけど、著者の不安に引きずられた文章がマイノリティを否定してしまいそうでハラハラする。
反論も肯定も不安げで、自己否定と自分の属性(セクマイ)否定も混ざってしまっている。
読んでいてもどかしい。青年期に思春期を眺めるような気分。
もう少し時間がたてば見守る気持で読めるだろうか。
著者が20年古い人なら、「この人が若い頃は今より大変だったから仕方ない」と思えただろうし、あと20年若ければ「まだ知識がないから仕方ない」と思えただろう。
だけど著者は1979年生まれで90年代にアメリカに演劇で留学し、周囲にゲイがいる環境で青春を過ごして、おまけに恩師はこの二人。
本人にもセクマイ要素があって、しかも同性婚が夢物語じゃない21世紀に執筆しているのに、これはあまりにも無知だ。
当事者ゆえに直視できなかったってのはあるにしても。
ちょうど今迷っている最中の人なら共感できるかもしれない。
でもエンパワメントするために力強い肯定を心がけて書かれた本を読んで育った目には、不安定さが落ち着かない。
要するに私がこの本を穏やかに見守れるほど成熟していないだけで、書き方自体は誠実な本だ。
タケルさんの家族へのカムアウトで、親は世代が上だから無理だと友人に言われていたのが印象に残った。
私からすればタケルさんの年代が親世代なのに、今でもおんなじ台詞を耳にする。
親が子より上の世代なのは当たり前なんだから、年齢を理由にしていたら永遠にわかりあえない。
気になったのは演劇の先生が演劇の中の同性愛について語った部分。
『真夜中のパーティ』まで同性愛は語られないかほのめかされるだけだったと言い切られている。
『サロメ』は?不実な恋人への愛を語りまくって無視されているヘロディアの近習は?
『ルル』は?ばっちり「同性愛」という言葉を使って苦悩を語ったゲシュヴィッツは?
「知らない」「思いつかない」を「ない」と言い切っちゃうのは好きじゃない。
「卒業を迎えた生徒たちを前にして、僕は自分がかつて高校生だったときに恐れていたことを話した。僕は一生、孤独に生きていくと思っていた。僕は一生、ゲイであることを隠し続けて生きていくと思っていた。僕は一生、親にそのことを告げられないまま生きていくと思っていた。僕はずっと怖かった。不安を抱えて生きていた。でも、あの頃から何十年も経って、今僕は、生徒たちにはっきりと言うことができる。僕が恐れていたことは、何一つとして現実にはならなかった、と。
僕は結婚した。僕には子どもがいる。両親は僕たちを応援してくれている。だから人生、何が待っているかなんて分からない。僕はそう、生徒たちに話した。それは他でもない僕自身が、17歳のときに誰かに言って欲しかった言葉だ。そして今、僕が公の場でこうして自信をもってスピーチできるのは、リオやタケルの存在があってのことだ。ロールモデルとして、壇上に立つ僕の背中を押してくれているんだ」p264
ビル・ラウシ コーナーストーン・シアターカンパニー共同創始者、オレゴン・シェイクスピア祭芸術監督 地元の高校の卒業式に呼ばれたときのスピーチより。