馬脚チラリズム

馬脚チラリズム

セクマイ的感想文置き場。本とか本じゃないものとか。

私の希望は私だけが望める

教員だか元教員だかが、殺された教え子を偲んで絵だか本だか歌だかを作ったよというニュースをみた。

殺された女の子は生きていたら今いくつで、働いたり結婚したり子ども生んだりして、きっと幸せに暮らしていただろうに、無慈悲に未来を断ち切られてしまった とかなんとかって内容。

 

きっといい先生なんだろうと思う。

私は殺された子と知り合いじゃないしどんな子かなんて知らないし、その教員とどんな話をしたかもどの程度親しかったのかも知らない。

だからこの先に書くのはその出来事についての感想じゃなくて、そこから連想してしまったことね。

 

 

気持ち悪かった。

描かれた「あったはずの未来」が母親になって子どもを抱くとかそんな風景だったから。

 

たとえば私が明るくて感じが良くて友達がたくさんいて、ハキハキ挨拶する夢と希望に満ち溢れたみんなに愛される十代のレズビアンで、子どもは欲しくないと考えていたとする。

そんで周囲の大部分にセクシュアリティを宣言せずに殺されたら、「素敵な王子様と結婚して子供を産む機会」を奪われたことを教員や周囲の人やらに悲しまれてしまうのかな。

生きていればそんな機会は拒むのに。

 

自分が死んだ後のことは私には関係ないからどうでもいいと思っていたんだけど、案外そうでもない気がしてきた。

私は死後があると思っていないし、あっても天国よりは輪廻転生派なので(そして記憶がないなら転生しようがすまいが同じだと思っているので)死んだ後でどうされても構わない。

痛いとか苦しいとか恥ずかしいとかそういうのは嫌だけど、死んじゃえばきっとわからない。

だったら死体を刻まれようが生ゴミとして出されようが犬に食われようが河原に生首をさらされようがどうでもいい。

そんなことで私を傷つけたり辱めたりなんてできないんだぜ。

 

私の死骸が酷い目にあったとしても、私には関係ない。

もう死んでるからってだけじゃなくて、それは私の意志じゃない。

明らかにそれをやった人の意思だし、そうみなされる。

 

でも「母」や「ヘテロ」の未来は、私の望みとして描かれる。

ものすごく嫌だ。

普段はたいてい面倒臭いからヘテロだと誤解されても放置しているけどそれはそれ。

私の望みや私の幸せを私以外の人が決めるのは耐え難い。