馬脚チラリズム

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セクマイ的感想文置き場。本とか本じゃないものとか。

平野広朗『アンチ・ヘテロセクシズム』パンドラ

いやなことは「いやだ」と言う。 こんな当たり前のことが、これまで、ゲイにはできなかったのだ。

平野広朗『アンチ・ヘテロセクシズム』パンドラ

 

タイトル通り、異性愛至上主義の社会にNOを言うのがこの本。

94年出版ですが、ほぼ90年や91年に書かれたものなので、やや古い話題だったり、 “性転換ゲイや女装ゲイ”への視線に疑問 (男だけど男に愛されたい、だから女のフリをする、と見なされている)はあるものの、 共感できるところがたくさんあります。

・・・それはそれで進歩のなさを物語っているようで悲しいですが。

時代の進歩は遅々としているけれど、でも一応は変わっているんだよな。

たとえばこの本の中に出てくる“性転換ゲイ”は、 今なら“性別適合手術を受けたGID性同一性障害)”と認識されるはず。

 

この本のタイトルはアンチ・へテロセクシズム、異性愛至上主義への批判だけれど、 本当に批判したいのは、均一の価値しか認めない社会なのだと思う。

異性愛至上主義の中で、同性愛者は生きにくい。

では、異性愛者ならそれでOKかと言えば、そう甘くはない。

異性愛至上主義とは、純粋にそれのみではなく、言外に他の規範の強制も含んでいる。

 

単なる異性愛至上主義なら、すべて異性愛者は (少なくともセクシュアリティにかかわる範囲では)安楽に生活できるはず。

けれど実際は違う。

異性を好きになれる、というだけでは足りない。

好きにならなければいけない。

好きになったら付き合わなければいけない。

その相手はひとりだけでなくてはいけない。

つきあったらそのうち結婚しなければならない。

結婚したら子どもを作らなくてはいけない。

男は妻子を守らなくてはいけない。

女は家族の支えにならなくてはいけないetc.

 

こんなん全部やってられるか!

 

この「ヘテロセクシズム」にNOをつきつけたいのは、なにもゲイだけじゃない。

セクシュアルマイノリティだけじゃない。 他のマイノリティだけですらない。

「普通の異性愛者」の中にも、きっとたくさんいるはず。

たとえ「負け犬」じゃなくてもね。

 

面白かったのは上野千鶴子に対する批判。

論点を私はよく知らないのでどちらともいえないけれど、 この人は昔、同性愛者に対して結構差別的だったらしいので、 多分正しい批判なのだろうと想像しつつ読んでいく。

と、聞いたことのある考え方を発見した。

こんな世界の中でひたすら「ホモ(変態)である自分が悪いんだ」と 自己卑下せざるを得なかったゲイがようやく手に入れた真理。

繰り返しでてくる「多数派に迎合する必要はない」という言葉。

たとえばこのふたつ。

 

排除してきた側に、なぜスリ寄っていい子いい子されなければならない? ぼくたちは、「同性愛を認めてほしい」などと、 異性愛者に哀れみを乞う必要なんかない。

 

実はフェミニズムや高齢者問題や当事者主権運動で、 似たようなセリフを見かけたのです。

それも、当の上野千鶴子の文章で。

 

自分が存在するということに、他者の許可も承認もいらない

 

結婚帝国 (河出文庫)

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結婚帝国  女の岐れ道

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だれかから助けを受けたからといって、 そのことで自分の主権を侵される理由にはならない。 
当事者主権 (岩波新書 新赤版 (860))

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多分疎外される人たちというのは、 「なにによって」とか「どんな風に」というのが違うだけで、 疎外される構造や感じる無力感や怒りや痛みなんかは、 案外にたりよったりなんだろう。

セクシャルマイノリティだろうが高齢者だろうが 障害者だろうが外国人だろうがなんだろうが。

私はひとつの価値しか認めない社会にNOをつきつけたい。

 

 

アンチ・ヘテロセクシズム

アンチ・ヘテロセクシズム