梨木香歩『村田エフェンディ滞土録』角川書店
――エフェンディ、あんたは真実を勉強するんだ。
家守綺譚と同じ世界観で書かれたお話。
家守綺譚の登場順物、綿貫&高堂もちょこっと出てきます。
トルコとイギリスと日本の歴史を知ってから読んだほうが きっと面白かっただろうな。
歴史は知っておいたほうがいいなあと今更ながらに思いました。
いや、知らなくても楽しめますが。
家守綺譚よりやや固めで最初ちょっとどうかなと思いましたが 後からじわじわきました。良いです。
違う場所からきたとか、ここで生まれたとか 宗教とか、性別とか、色んな要因で人は判断される。
それらが判断材料になるのはわかるけれど それのみで自分を規定されることには反発したい。
属性だけで判断されたくない。
ましてその属性によって、できることさえ決まってしまうのはたまらない。
――私は土耳古人であること。ハミエットはロマであること。 二人とも女性であること。そういうことが私達のやりたいこと、やるべきこと、やれそうなこと、を、どんどん決定してゆく。
だけど、そこに安住している自分がまぎれもなく居る。
壁を作っているのは周りと自分。
でも、壁を越えられないのは、 少なくとも越えようとしないのは自分なんだよな。
越えようとしたことのない奴に壁がどうこう言う資格はない。
ないんだけど・・・とかなんとか、つらつら考え込んでしまいましたが そんなこと考えなくても面白い読み物です。
ディクソン婦人はやっぱり頭の中が白人でヨーロッパ人だけど、 オットーやムハンマドを好いている。
村田とオットーとディミトリスは友人だし、 ムハンマドと鸚鵡もなんだかんだ文句をいいながらなじんでる。
個人と個人は仲良くすることもできるんだよな。壁があるままでも。
そういう、仲の良い個人同士を描きつつ、 でも違うところを見せていくっていうのが、梨木香歩だよなあと思う。
その人個人の性格でありながら属性の特徴でもある考え方なんかが さりげなく、でも深く考えられている。
雪合戦のシーンの明るさと重さが非常に好きです。
独逸人の文化的なしたたかさ、 希臘人の痛い目にあってきた繊細さ、 日本人のおめでたい楽観、 ディクソン婦人の怒りは「女」の怒りなんだろう。
時間が経ってもう一度読んだら、きっと新たな発見が出来るだろうと思える 大事に本棚に置いておきたい本です。
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