馬脚チラリズム

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セクマイ的感想文置き場。本とか本じゃないものとか。

ランドセルのCM

「自分らしく生きていい」と 一言も教えてくれなかった学校を今でも恨んでいる。 岩村 匠(いわむら しょう)『性別不問』成甲書房より

 

最近のランドセルは色が多くて 選べていいなあと思ったんですが、そうでもないようです。

ランドセルのCMを見ていたら 青系の服をきた男の子が青系のランドセルを 赤系の服をきた女の子が赤系のランドセルを背負ってとびはねてました。

 

ランドセルの色が赤と黒しかなかった頃は あえて自分の性にそぐわない(とされる)色を選ぶことは 大きな意味を持ってしまいました。

女の子はただ黒が好きだから黒を選ぶということはできなかった。

黒を選ぶには、体制と戦う意思表示と受け止められる覚悟がいる。

男の子が赤いランドセルを選ぶときもまたしかり。

 

2つしかない色を選ぶのだから 体制に迎合するか、反逆するかのどちらかを選ぶことになる。

実際にはそんな意味を持たせたくなかったとしても。

性にそぐわない色は「あえて選んだ」ことになり、 性にそぐう色は「世にならった」ことになってしまう。

 

たくさん色があれば、 「男の子だから男の子色」を選ぶのではなく 「女の子だけどあえて男の子色」を選ぶのでもなく 好きな色を選ぶことができる。

と、思っていたんだけれど。 結局、男の子は男の子「系」の色 女の子は女の子「系」の色を選ばなきゃいけないんじゃあ 何十色あったって意味はない。

 

たとえ子どもが緑やオレンジのランドセルを欲しがっても 親が「みんなと違うんじゃないか」とか 「同じじゃないと、いじめられるんじゃないか」と言って 女の子ならロゼ、男の子なら紺色あたりで妥協させることが多いとききました。

同じじゃなきゃ仲間になれないような 仲間意識なんざクソくらえ って、子どもはいえないんだよな。。。

 

せっかくたくさんの色があるのに 選べるのは限られた何色かに過ぎないなんてなんてもったいない。

それでも、やっぱり選択肢がまったくないよりはマシだから これから先、意識が変わっていくことを祈ろう。

ランドセルなんて水玉でもレインボーでも なんでもいいじゃんって思うんですけどね。

 

性別不問。―「性同一性障害」という人生

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