J.K.ローリング 『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』 静山社
ハリーポッター四年目。
時代の恐ろしさがいよいよ過去だけのものではなくなってくる。
こわいものから目をそらしてはいけない。
発売当時はこの巻まで読んだ。
先に進まなかったのは、思春期アレルギーと、ファンタジーに重さを求めていなかったのが原因。
と、思っていたけれど、あれは怖さの理由を整理できていなかったからかもしれない。
ヘイトやら集団心理やらが、悲しいことに今ではくっきりと見えてしまう。
怖さだけを感じていると作品自体を敬遠したくなるけれど、なにが描かれているのか理解できれば、恐ろしさを描いてくれることに感謝できる。
思春期成分は……かわいい。
遠くなったなあ。
ダーズリー家とウィーズリー家はやっぱり対なのかな。
どちらもハリーの疑似家族的立場で、「自分の」家族を大事にしている。
その価値観のなかでは疑いようのない善に属していて、下にいる異物に対する想像力がちょっと足りない。
「マグルびいき」のウィーズリー氏は頭で差別を拒否するけれど本物の人間とつきあったことはない。
マグルという生き物への好感は、その人たちを人として見ていないことの裏返しだから、相手に感情や思考があるってことがわからない。
だから、こんなに好意をもってあげているのに、なぜマグルに怯えられるのか理解できない。
暖炉からわらわら出てくるウィーズリー一家に恐慌をきたすダーズリー一家は気の毒にさえ見える。
そりゃ自宅暖炉から知らない人があらわれて妙なことになったら普通おびえるわな。
でもこの「知らないものへの恐怖」は知ろうとしてこなかったことのツケでもある。
ダーズリー家には魔法使いを知るチャンスがあったのだから。
ダーズリー家がコミカルに演じた茶番は、シリアス展開の魔法界でも至る所でおこっている。
悪意の人、弱い人、考えなしの人はもちろん、善意の人の行為も良い結果をもたらすとは限らない。
ウィーズリー氏やハーマイオニーの空回り気味の正しさも、ダーズリーおじさんやファッジ氏の守ってるつもりの愚かな行為も、気持ち自体はウソじゃない。
「良い奴隷」の誇りとあやまちとか、自由に目覚めたドビーの苦境とか、ままならない・単純じゃない世界観がリアルで厳しい。
すなおに正面衝突してるロンとハーマイオニーのケンカは違うもの同士がわかりあうための希望だ。
シリーズ感想
- 作者: J.K.ローリング,J.K.Rowling,松岡佑子
- 出版社/メーカー: 静山社
- 発売日: 2002/10/23
- メディア: ハードカバー
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