オスカー・ワイルド『幸福な王子』新潮文庫
「幸福な王子」はオスカー・ワイルドの有名な童話。
西村孝次翻訳の新潮文庫で読んだ。
キラキラした銅像の王子に頼まれて、ツバメが越冬をずるずる先送りしながら王子の身ぐるみを剥いで貧乏人に配ってまわる、緩慢な自殺幇助みたいな話。
素直に本を読んでいた子供時代はあまり好きな話じゃなかった。
登場人物全員好きになれなかったから。
独善に気を取られて目の前のツバメの事情を考慮できない王子も、きっぱり断らずに結局王子にダメージを与えるツバメも、身勝手な人間たちも嫌いだった。
「ごんぎつね」や「赤い蝋燭と人魚」みたいに、ありがた迷惑展開になるならまだいいのに、こんなんで貧しさが解決しちゃうのも嫌だ。
だけど今回読んでみて、そうじゃないんだと思った。
というより、みんな完全じゃない人物として描かれているのだから、称賛できないまま読めばよかったんだ。
これは「ツバメが慈善に目覚める話」ではなく、「王子が愛を知る話」だ。
「(手にキスしていいかと問われて)くちびるにキスしなさい。わたしはお前を愛しているのだから」ってこれ恋の愛じゃないか。
生前から遠くが見えなかった王子は、銅像になってもやっぱり目の前のことが見えてない。
そういう、失ってはじめて気づく愚かさの話だ。
ツバメの愛し方も進化している。
最初に恋する葦への想いは自己愛の押し付けだった。
王子に対する献身は、当初こそいやいやだけど終盤は自発的にこの人のためになりたいと行動する。
神様のオチも含めて、ワイルドの本は斜に構えないと面白くないかも。
それはそれとして、訳者の「解説」が差別的で胸糞悪い。
1907年生まれが昭和28年だか42年だかに書いたものとはいえ、ワイルドにたいする「同性愛者扱い」を侮辱だと考えているらしい。
同性愛者とみなすことを侮辱と考えたら、読み方だってきっと歪む。
翻訳自体も読みにくい。
文章が仰々しいのは古い本だからかと思ったけれど、いやこれ普通にへただ。
書き方がくどいし長い文章はたまに意味が通じない。
買うなら別の訳がいい。