地声と女子声
テレビをつけたら、40年くらい前のトーク番組の一部が流れていた。
出演者の中で端っこのほうにいた女の人がものすごく印象的で、名前を調べて検索したらわりと有名なレズビアン(当時はクローゼット)だった。
うん、絶対セクマイだと思った。
私はあんまりそういうのに気付く方じゃないんだけど、なんかその人は他の人と違ったんだ。
「オネエキャラ」みたいなわかりやすい特徴を出しているわけじゃないし、「ボーイッシュ」ですらないし、浮いてもいないけれど他の女性たちと違う。
口調というか声のトーンが全然媚びてない。
服装も髪型も男にアピールする気ゼロだよ。
というより、周りの女性たちがものすごく女子女子してる。
話し方も声の出し方も服装も、ものすごく作りこんである。
女性性の魅力を強調した芸能人ということを差し引いても、「人である前に女子」みたいな。
そういう中で、地声で話すそのレズビアンの人はまわりと全然違っている。
フラミンゴの群れにエミューが混じっているみたいに見える。
きっと当時のヘテロの目には「なんかもっさい人が混じってる」程度の違和感だろうけど、女子女子したくない女子の目には燦然と輝いてみえたことだろう。
よく「昔のゲイはいかにもゲイ!な外見だったけれど、最近はヘテロと区別がつかない」という話を聞く。
ヘテロに擬態できる程度のゲイもゲイと名乗れるようになってきたということもあるだろう。
でもヘテロの側が変化してきたことも大きそうだ。
「男!」「女!」と強調する圧力がゆるくなって、「男らしい男」と「女らしい女」の中間層が増えてきたから、「男役」「女役」をやりたくないセクマイも過ごしやすくなってきたってことなんだろうな。
「女らしく」ハイヒールを履くと彼氏より背が高くなってしまって「女らしさ」から外れてしまう、とか
「男らしく」愛する人を守りたい→彼女は「女らしく」自分で身を守れないくらい弱いままでいてくれないと困る、
みたいなくだらない悩みって、「らしさ」を関係性の中で作ろうとするから出てきてしまうんだと思う。
相対的に「らしく」しようと思ったら、隣の人もトータルでコーディネイトしなきゃいけなくなる。
マッチョな「男らしい男」が白い目でみられ、小首をかしげて高い声を出す「女の子らしい女」アイドルが隆盛の今日この頃だけど、本当は男らしさも女らしさも生まれの性にかかわらず、関係性と無関係に自分の好みでチョイスできればそれが一番いい。