遠野りりこ『マンゴスチンの恋人』小学館
まじめにかかれた若年層向けセクマイ小説。
もし自分が文章を書ける人だったら、セクマイ小説を書きたいと思っていた。
普通にセクマイを主役にして、ヘテロだけの世界じゃなくて、正しい知識をさりげなく仕込んで、悲惨でも特別でもなく当たり前に存在する人間を書いて、読んだ子たちが希望を持てるように。
この本は、そういうものを目指した小説なんだと思う。
連作短編集でそれぞれにマジョリティじゃないセクシュアリティの人たちが出てくる。
キャラクターやエピソードのパーツも好きな系統。
ヘテロへの啓発に使えそうだし、悩んでいる子に渡すのもいいかもしれない。
と、思うんだけどもなんだかのれない。
応援はしたいんだけど、「これ面白かった!おすすめ!」って躊躇なく言えない。
このモヤモヤは、まじめにかかれた教材系フィクションによく感じる。
ストーリーは先が読めてしまった。キャラクターは見覚えがある。
セクシュアリティの説明部分は教科書の受け売りっぽくて参考文献が透けて見える。
筋も説明も感情さえも、みんな漫画やセクマイ本で読んできたものの焼き直しのようで、「この人の小説」を読んだ気にはなれなかった。
善意だし調べてあるけど実感にもとづかない、良い子が書いた人権作文を読んだような虚しさが残った。
あと文章が微妙に下手。
登場人物たちにはそれぞれにかかわりがあるけれど、みんなクローゼットだから(そうせざるをえないから)当事者同士は繋がらない。
当事者と非当事者も、マイノリティが実は隣にいるってことに気づかない。
だから余計に「自分だけがおかしい」「自分こそがなんとかしなければ」と思ってしまう。
クラスの中、学校の中、知り合いの中にこのくらいセクマイがいるのは普通のことなのに、知り合うことができない。
そのリアルさが淋しい。
でもヘテロまみれのフィクションの世界に(ヘテロ物に比べれば微々たる数とはいえ)まともなセクマイ小説が増えてきたのは嬉しいことだ。
以下ネタバレつきの不満。
・ビーズ屋の事情がご都合主義
仕事面で信用できない相手に開店準備を丸投げするなんて普通できるか?
・トラウマの扱いが嫌だ。
「この人」は「あの人」ではないと頭でわかっていても、なお怖いからトラウマなんじゃないか。
大丈夫だと思っただけで大丈夫ならトラウマじゃなくてただの嫌な思い出だ。
・バイの扱いも嫌だ。
奔放なヘテロやゲイやレズビアンがいるように、奔放なバイはいる。
バイならではの事情(選べるから楽なほうを選ぶ)もある。
ふりまわされた人が「これだから男ともやれるやつは!」ってなるのもわかる。
しかしバイへの偏見をフォローなしで書くのはフェアじゃない。
著者が「このキャラクターの言動」を描いたつもりだったとしても、バイがひとりしかいない本の中では「バイセクシャルの言動」に見えてしまう。