デイヴィッド・ウォリアムズ『ドレスを着た男子』福音館書店
綺麗なお洋服が好きな男子が綺麗なお洋服が好きな女子と出会う。
女子の提案(というか軽い悪ふざけ)で男子は女の子の服を着てみる。
そんな児童書。
いい意味でも悪い意味でもマイノリティ性が軽い。
誰もが持つ当たり前の人と違う部分、という軽やかさと、大事なものの扱いの軽さと。
だから良いとも悪いとも判断しにくい。
「性同一性障害を理解してあげるための本」じゃなくて、単にトランスヴェスタイトな児童書って珍しい気がする。
しかもこれは異性装やセクシュアリティ(だけ)のお話ですらない。
この本が描こうとしているのは、好きなものを好きと言える自由と、好きなものを好きと言うために必要な強さなんだと思う。
主人公デニスは女の子になりたいわけじゃなくて、女の子の服が好きな子。
自分であり続けようとするのは、シク教徒のダルヴィッシュもフランス好きの先生も同じ。
アイデンティティとしての装いと、ファッションとしての装いに触れられているのもよかった。
フランスかぶれに対する嘲笑は、韓流乙女に対する軽蔑と同じ種類のミソジニーのような気がする。
人と違う主人公の話では、違いによってひどい扱いをされることに焦点をあてられがちだ。
だけど、誰にだってマジョリティな部分とマイノリティな部分はあるから、自分がマジョリティの場面ではほかのマイノリティにひどいことをしてしまうときもある。
誰かが大事にしているものをないがしろにしちゃいけないのはデニスも同じ。
デニスのしたことがひどいこととして書かれているところに好感をもった。
が、校長先生のくだりで台無し。残念だ。
- 作者: デイヴィッド・ウォリアムズ,クェンティン・ブレイク,鹿田昌美
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 2012/05/16
- メディア: 単行本
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その他 気になるところ。
セクシュアリティの越境はアメリカやアフリカなら命がけだし、日本にはもうちょっとなあなあな緩さがある。
イギリスはどうなのかな。移民の存在がごく当たり前に登場するのが今っぽくて良い。
デニスは洋服が好きな子のはずなのに洋服の扱いが雑なのは納得がいかない。
たとえ洋服好きじゃなかったとしても、大事に作られたものだと知っていてあの使い方はひどい。
ちょこちょこ作者が自己主張してくるのもあんまり好きじゃない。
「どう見える?」デニスがたずねた。
「ちょっとマヌケ!」
ふたりで、げらげらと笑った。そのあと、ダルヴィッシュが少し考えこんだ。「だって、それをかぶったからって、きみはシク教徒にならない。そうだろ? きみがかぶれば、ただの帽子だ。たんなるファッションだよ」
連想した作品
「ベッカムに恋して」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4048970364
「放浪息子」http://booklog.jp/item/1/4757715226
「おしゃれにうつつ」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4877283013