馬脚チラリズム

馬脚チラリズム

セクマイ的感想文置き場。本とか本じゃないものとか。

『揺らぐ「結婚」―同性婚の衝撃と日本の未来』 (View P books)


アンチゲイサイドからの同性婚論。
パラパラと拾い読み。
あちらがわの人たちがなにを恐れているのか知りたくて手に取った。
前書きの時点で気分が悪くなりそうで、これ読めるかなと不安になったけど、案外平気。
こういう本がでてくるくらい日本でもセクマイが可視化されつつあると思うと感慨深い。

 

同じものを見ても、こんなに違う論理展開になるんだってことが新鮮で興味深い。
内容自体は論破されつくしたものばかりだし主語がでかいし論拠も甘いけど、この人たちがなにを大事にしていてどんな風に変化を恐れているのかが、はっきりと表明されている。

 

自分の信念を語る時は、正しさを確信しているがゆえに論理や論拠や説明をすっとばしてしまいがちだ。
私の言葉も、あっち側からみたらこんな風に見えるんだろうな。
ミルの『自由論』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4003411668や『ヒーローを待っていても世界は変わらない』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4022510129に、彼を知り己を知れば百戦殆うからず的なことが書いてあったのを思い出した。
聞きたい人にしか伝わらない言葉じゃダメなんだよね。


しっかり読んでネチネチつっこみたい。
けどそれやる時間があったら力になる本を読みたいと思ってしまう。
めんどうくさがりは誠実な学者や政治家にはなれない。

 

これを読みながら、提案8号の裁判で論理に従った勇敢なアンチゲイの人を思い浮かべてた。
論理を受け入れて己が信念をふりすてるのは尊敬すべきことだ。

 

 

揺らぐ「結婚」―同性婚の衝撃と日本の未来 (View P books)

揺らぐ「結婚」―同性婚の衝撃と日本の未来 (View P books)

 

   

提案8号(カリフォルニアの同性婚を禁止する法律)を訴えた裁判を朗読劇にしたもの。


"8": A Play about the Fight for Marriage Equality (sub ita)

8: Library Edition

8: Library Edition

  • 作者: Dustin Lance Black,Brad Pitt,George Clooney,Martin Sheen,Kevin Bacon
  • 出版社/メーカー: L a Theatre Works
  • 発売日: 2012/06
  • メディア: CD
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自由論 (岩波文庫)

自由論 (岩波文庫)

 

 

 

 

 

オ・ジョンヒ『鳥』段々社

 

親にネグレクトされた幼い姉弟を徹底的に姉視点で描いた韓国の小説。

詩的な文章のおかげで雰囲気は幻想小説

設定は『誰も知らない』に似てる。

でもお姉ちゃんと弟だから、かなしさの質が違う。

 

子供のかわいくなさがリアル。

こんな子供が近くにいたら不気味だろうしきっと嫌悪する。

だけどそれは子供が生き延びるためのあたりまえな歪み方で、だからそれが悲しい。

ないがしろにされる子供たちは、予言の自己成就みたいに、言われた通り素直にひねくれていく。

新見南吉の『花をうめる』の中にあった話http://booklog.jp/quote/516472を思い出した。

 

周囲の大人たちのやさしくなさもリアル。

「暗闇を追い払ってくれる誰か」のいない大人たちは、子供を暗闇から守ってあげる余裕をもたない。

できる範囲の支援は大切だけど、「力になるよ」といいながらできる範囲でしか助けてくれない人を信じるのは無理だ。大人に助けを求めるという発想のなかった子供のころを思い出した。

いつ手を引っ込めるかわからない人の手をつかむなんてできない。

はじめから不誠実な顔で、わりとそれなりに面倒をみてくれた若い女のひとが一番好き。

ここから先は無理って先に言ってくれたほうが信用できる。

 

これの直前に『テロリストの息子』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4255008957を読んだ。

つい比較して、希望のあるノンフィクションよりも救いのないフィクションをリアルに感じてしまったのが悲しい。

 

完全にフィクションとして読みたかったのに、解説をよんだらトリイ・ヘイデンとシーラhttp://booklog.jp/item/1/4152080329を思い出してちょっと萎えた。

すくってやる側の認識と半端にかかわられた側の認識にはズレがあることもあるから。

この本のなかの相談オモニの書き方は救いがなくて好きだけど、これが贖罪なら違うと思う。 

 

鳥 (“アジア文学館”シリーズ)

鳥 (“アジア文学館”シリーズ)

 

 

脳内BGMは相対性理論の『小学館』。

  “今日から三週間 目覚めちゃダメだよBABY”

たぶん李さんの鳥のせい。

小学館

小学館

 

 

 

ここで紹介した理由はたたんでおきます。

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サザエさんのちバリバラ

 

成人の日まえの昨日、ひさしぶりに「サザエさん」を見た。

クリーニング屋の孝行娘が自分の成人式そっちのけで店の手伝いをしていて、父親である店主は本当は晴れ姿がみたいと思っている。それを聞いたイソノさんちが協力して晴れ姿をみせてあげるのも親孝行とかなんとかいって、娘を説得してめでたしめでたし。てな話だった。

 

古き良き昭和の話だし、晴れ着をきせてやることが間違ってるわけじゃない。

だけどアニメの善良なるイソノさんちはあまりにも無邪気にマジョリティで、それ以外の価値観が存在すらしないようにみえる。

それ以外の価値観が見えないと、そこにあてはまらないものを排除されている気分になる。

これを見たのが二十歳のころだったら、キツかっただろうと思う。

 

私は成人式にでなかった。式自体も嫌だったし盛装もしたくなかった。

私はトランスじゃない。でも性別に期待される役割にはなじめない。

今は嫌なりに折り合えているけれど、10歳ごろから15年ほどはしんどかった。

19歳のときは呉服屋のDMを憎悪して、くるたびに受け取り拒否の手続きをしていた。

リクルートスーツも喪服も買いたくなかったし、中学の制服だって10回くらいしか着てない。

 

衣装自体は我慢できる。

拒絶したかったのは、中身を衣装に同化させられることだ。

私にとってジェンダーの衣装は、「あなたはこういう人だよね」と勝手に決めつけられるようなものだった。

 

自分でないもののふりをしつづけるのは苦しい。

相手の思い込みに合わせなければいけないと思っていたときはものすごく生きづらかった。

違うなら違うと言っていいし、言っても生きていけるとわかったから今はすごく楽になった。

「ふつう」にとらわれて自縄自縛だったころに、「晴れ姿を両親にみせて成人式に出るのが親孝行」以外のコースが見えない話をみたら、きっとキツかっただろうと思う。

 

 

サザエさんのすぐあとにやってたバリバラがLGBTの回だった。

最初の数分しか見られなかったけど、出演者紹介の時点ですでに多様性炸裂で癒された。

くっきりはっきりした越境者だけが特例としてマジョリティ様から容認していただけるんじゃなくて、こっちとあっちをふらふらしたり、どちらともつかない場所にいたりする人もいるのが当たり前のことと認識されている。

同じ日の同じような時間の全国放送で、こういう情報も見られるってことに救われてる。

 

 

www.nhk.or.jp

『戦場のメリークリスマス』

観たいなーと思っていたらちょうどクリスマスで放送されていたので観た。

というより、クリスマスが近づいたから観たくなったのかもしれない。

全然クリスマスっぽくないのにクリスマスものとしてインプットされているあの曲がやはり印象的。

デジタルの高画質は、前に見たときには暗い所でなんかゴソゴソしているとしか見えなかった部分もくっきり見えて、意味を理解する手助けになった。

しかし画質がいいと音が悪く感じる。

 

前に観たのは十代後半頃だったと思う。

その時は「なんかよくわかんないな。ホモソーシャルな耽美は好みじゃないんだよな」くらいの感想しかなかった。

あとは曲がきれいとか教授腰細いとかデビッドボウイ意外と整ってないとこがかわいいとか。

派手なふたりを主役だと思ってそこばかり見ていたから余計に内容がわからなかったのかも。

 

今みると、セリアズ&ヨノイだけじゃなくて、それぞれに関係があって、言外の感情があった。

ハラ&ロレンス、カネモト&デ・ヨンはもとより、ヨノイの部下とかセリアズ&ロレンスと俘虜長とか、敵とも味方ともいろいろある。

で、ふぁーでるくりすますからのMerry Christmas, Mr. Lawrence。

ちゃんと理解できたかはまだあやしいし、好み!大好き!ってわけじゃないけど、ああ名作なんだなってのは納得した。

時間をおいてみると見方がかわるもんだな。

 

戦場のメリークリスマス [DVD]

戦場のメリークリスマス [DVD]

 

 

室生犀星『舌を噛み切った女 またはすて姫』新潮文庫

 

室生犀星の時代物短編小説。

芥川の平安ものとか坂口安吾の『桜の森の満開の下』とか、あの辺の雰囲気。

 

山賊の中で育った女が都の女と出会う。

なんとなーく雪の女王の山賊の娘を連想した。

あのこが悲しく大人になっちゃったようなお話。

 

野郎ども、とくに庇護者のおっさんが胸くそ悪い。

昔の男が書いた話だし仕方ないかもしれないけれどこの男目線ときたらこの野郎、と思いながら読んでいた。

 

が、思いがけずヒロインが格好よかった。

冷静な目を残しながら感情で動いて、自分の足で自分の道をゆく。

胸のすくような展開でこそないけれど、あがいて生き抜く強さが好きだ。

 

そんで、女の子同士の関係を汚さない書き方が好きだ。

描かれなかったその先に、お姫様と末永く幸せにくらしました、めでたしめでたし。

という結末を望みたい。

 

 

舌を噛み切った女 (1957年) (新潮文庫)

舌を噛み切った女 (1957年) (新潮文庫)

 

 

完訳アンデルセン童話集 2 (岩波文庫 赤 740-2)

完訳アンデルセン童話集 2 (岩波文庫 赤 740-2)

 

 

みんなのみんなのうた

テレビをつけたら「みんなのうた」が流れてた。

なんだかすごく耳に残った。

絵と歌詞にセクマイセンサーが反応した。

「ドミソはハーモニー」という曲らしい。

かわいい。

 

ちらっとしか聞けなかったんだけど、多様性っぽいテーマだった気がする。

みんな違うからハモれるんだよ的な…

歌詞をみたい。もう一回ききたいのでメモメモ。

 

 

ドミソはハーモニー

ドミソはハーモニー

 

 

リンダ・ハーン『王さまと王さま』ポット出版


王子様とお姫様がしあわせになる話しかないのは教育上よろしくないよね。
ということで作られたオランダの絵本。

王さまと王さま

王さまと王さま

 

  
王子ミーツ王子のこころみは買うけれど絵本としてもジェンダーセクシュアリティ)本としてもいまいち。

原著が2000年ってこともあるかもしれないけれど、すじがきがいかにも啓発用教材っぽくて自然じゃない。


『タンタンタンゴはパパふたり』もそうだったけど、ふたりの関係が「とてもとくべつな」ものとして描かれているのが悲しい。
ふつうのおはなしでただ主人公がゲイです、この子たちにとってはこれが当たり前で普通です、っていうのが読みたい。

 

多様性を描こうとしたらイロモノくさくなったようなお姫様たちの扱いも好きじゃない。
彼女たちが面接にきて選別される側でしかないのが気になる。
現在の結婚は相互に選びあうものであるはずなのに。

 

いいお姫様にであっていないから結婚する気にならないというのも違和感がある。
同性愛者はすてきな異性にであっていないから同性にひかれるんじゃない。
これではその肝心な部分が伝わらない。
人間的に好きになれるすてきなお姫様がいても、王子様と恋に落ちるからゲイなんだよ!

 

コラージュの絵はかわいい。
女王さまの表情がいい。

 

ジェンダーセクシュアリティ本で、絵本として納得できる質のものって難しいな。
でもこういう本がどんどんでるのはいいことだ。