エリナー・ファージョン 『ガラスのくつ』 岩波書店
ファージョンのシンデレラ。
ディズニーみたいなひらひらした仕草でくるくる動く絵が浮かぶ。
生き生きとしたキャラクターと美しい文章。
キャラクターが、素敵なのもろくでもないのも人間くさくて楽しい。
でもセクマイ読みなのでメインストーリーは置いといて、気になる脇役の感想。
ピュアピュアおぼっちゃまな王子様には、道化が配属されている。
この道化のマイノリティ感が良かった。
道化であることが属性で生き方で扱われ方だから、マジョリティの王子様には人間扱いしてもらえない。
エラと王子が出会った後、恋に焦がれるセンチメンタル王子を笑わせようとして道化が乙女のようにふるまってみせる。
「やめろ、そんなばかなことを。あの人は、ちっともおまえみたいではないよ。」
道化の笑顔はきえました。道化は花輪を頭からとって、また、その花をオレンジの木にくっつけようとしました。花がぽろぽろ、地面にちったとき、道化は両手で顔をかくし、ほんとになきたいなと思いました。でも。だめです。道化はほんとの涙をながすことも、ほんとにわらうことも、できないのです。鏡の中のなみだがぬれていないように、鏡の中のわらいに声がないように、道化はただ、王子様の考えをまねるだけです。
さらっとたった数行で、どうでもいい脇役に物語をもたせる描写ができちゃうからファージョン大好き。
マイノリティが攻撃されずに生きるための知恵のひとつにステレオタイプを演じるとうい方法がある。
マジョリティが安心できる像を演じれば、マイノリティを名乗ることをお許しいただける。
でもそれは、名乗ってるだけで「自分」でいられるわけじゃない。
オネエやオカマやホモネタが嘲笑とともに受け入れられるから日本に差別なんてないよ、みたいな現実を連想する。
ワイルドの『スペイン王女の誕生日』の道化とか、ハリーポッターのルーピン先生(とロンのママ)とか『ハゲを生きる』と『からかいの政治学』が読みたくなる。
2011/03/04 再読